子供の頃、交通事故に遭った。
母親と手を繋いでいた。信号も横断歩道もない、銀行だか郵便局だかの隣にある脇道を渡ろうとしていたが、車が1台走ってきたので渡らずに待っていた。
一時停止の標識があったのかは忘れたが、車は少しずつ減速した(はず)。
その時、わたしは母親の手を振り解き、走って道路を渡りだした。
停まりきっていない車に衝突した。衝突というか、轢かれたというか、要するに事故だ。
わたしは手足を大きく擦りむいた。足首の辺りには、今も跡のようなものが残っている。(ホントに事故の跡かは怪しいが、母親がそう言っているからそうなんだろう)
幼少期のことであるため記憶が曖昧であるものの、病院の待合室のような場所で、おそらく運転手であろう若い女性の「ごめんね、ごめんね」という涙ながらの声が聞こえていたことは覚えている。
いま、心から思う。謝りたいのはわたしだ。
子供だったとはいえ、わたしの意味不明な行動のせいでその女性を交通事故の加害者にしてしまった。人身事故の加害者にしてしまった。小さな子供を轢いた女性に仕立て上げてしまった。
あの事故を防ぐことは現実的に不可能だ。その女性はちゃんとブレーキを踏んでいた。停まり切る直前にわたしが突進してしまったのだ。わたしと車との距離は1メートルあるかどうか。ゴキブリのような初速で、しかも母親の手を振り解いてだ、こんなの誰も避けられない。
あの事故、ニュースになったのだろうか。実名で報道されてしまったのだろうか。報道されるべきはわたしだ、あの女性は悪くない。もしかしたら、わたしはひとりの人生を壊してしまったのかもしれない。
あの時のわたしは当たり屋同然だ。頭のおかしいクソガキだ。わたしの母親もそう思ったはずで、運転手を責めるようなことはせず、逆に謝り、慰めていた(はずだ。わたしの母親ならそうする)。
法的に悪いのは運転手だ。だが、あくまでも法的には、だ。実際のところ、誰も運転手を責めるようなことはしない。誰があの女性を責められる?
子供の行動は本当に理解できない。本当に、本当に。本当に意味がわからない。その謎の行動で子供が怪我をして痛い目を見るだけならまだいいが、問題なのは他人の人生を壊しかねないということだ。
SNSでは子供用ハーネスの是非についてしばしば議論がなされるが、わたしのような『あたおかキッズ』が他人に迷惑をかけてしまうことを防ぐことには、それなりに効果があるのではないだろうか。
子供だからしょうがない、では済まされないこともある。他人の人生や財産を傷つけるようなことは、大人として防がなければならない。あなたの大切なレクサスが近所のクソガキに傷つけられたら許せないだろう。建てたばかりの家に絵の具かけられたら許せないだろう。
子供が一番、子供が大事、お互い様。これは真の被害者側が使う言葉であって、迷惑をかけたクソガキの親が使うものではない。
立場というものをよく見極め、身の振る舞いを正していきたい。
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