これは幼少期に母親から言われた言葉です。
<CAUTION>
この記事は「自分語り」系です
「あなたは顔が悪いからスポーツ選手になりなさい」。スポーツ選手を侮辱しているとも受け取られかねない、とてもマトモではない偏見にまみれたこの言葉。今の60代や70代に共通される価値観なのでしょうか?それともわたしの親だけ?何にせよ最悪。
…ってかこんなこと言うなよってね。「わかったよお母さん!」ってなると思ったの?他にもさ、撫でた部分が良くなるとかいう像?置物?の顔をこれ見よがしに触ってたりさ、誰が喜ぶの?
幼少期の顔なんてさ、大人になる頃にはほとんど変わってるしょって。良いか悪いか、わたしなんてもう原形ないよ?そんなもんなのにさ、わざわざ心に傷つけて、これから訪れる思春期・学生時代を事前に壊すようなことしないでってね。
こんな事があるとさ、当然ながら自分に自信が持てなくなるわけで、ある程度の年齢になるまでは、できる限り人から見られないように過ごしてた(厳密には「見られてると認識しないように」していた)。
下を見ながら歩く、前髪で顔を隠す、人と目を合わせないって感じ。そうしようと意識することなく、自然とそうなってた。
「人と話すときは目を見て話しなさい」ですって?まったく、誰のせいでこうなったんだか…。目を見て話すのはね、今でも苦手かな。わたしのことを心から受け入れてくれる極少数の人以外とは未だに目を合わせられない。ちょびっとなら合うけどね。何秒もってのは無理。
行動力や自己肯定感なんてものもない。注目を浴びるのが嫌だから、リーダーや取りまとめ役にはならない。いつもどこでも参謀ポジション。こんなんじゃ社交性も身につかないってね。陰キャだよ陰キャ、こう言えばわかりやすいしょ?
……ただ、こういう「自信のなさ」も、大人になるにつれ少しは改善されていった。社会人になるとさ、学生時代以上に身なりに気を使うようになるしょ?毎日鏡を見ながら自分を整えるわけで、そのたびに「まぁこんなもんか」とか「まぁまぁイイ感じ」なんてふうに自分を評価する。
些細なことだけど、これが積み重なって自信になる。大抵の人は小中学生で体験するんだろうけど、わたしには結構な周回遅れでそれがやってきた。文字通り「自分と向き合う」時間が、大人になるにつれ増えてきた。
ナルシシズムって言ったら変かもだけどさ、適度な自己愛は人間としての成長に必要だよね。わたしは生育過程でそれを形成できなかった。もしかすると、わたしは「自己愛性パーソナリティ障害」なのかもね。
なんか暗い話になっちゃった。このままだと寂しいから、わたしが思春期後半、青年期に活用してたツールを紹介するね。
- メガネ
- 帽子
- マスク
です。ド定番の変装アイテムです。でもね、意外と効果あるのよ。
メガネは必須。かけるだけで素の自分(自信のない自分)を隠せるから。そんなに視力悪くないけどかけてた。伊達メガネもアリよ。
外出時の帽子も便利。被るだけで素の自分をより隠せるから。でもご飯食べるときは脱ごうね、これは行儀の話。
マスクは反則。付けるだけで行動力が強化される。ただし常用は厳禁。中毒性が高いから、変に依存しちゃうと危険。マスクなしでは人前に出られなくなる。あとはね、マスク付けると「いろいろと楽になる」から、なんというか…ものぐさ太郎になっちゃうよね。
……まぁ、こんな感じかな。たとえ「自分は被害者だ」なんて感じていたとしても、いつまでもウジウジしてるわけにはいかない。どこかで自分と向き合わないといけない。そのための第一歩として、こういったツールを使うのは有効だよ。
歪んでしまった自己愛を、ゆっくりと、ゆっくりと正常化しないといけない。ケガは一瞬だけど、リハビリは長いでしょ?そんな感じさ〜
今回はこんな感じ。子どもに投げかける言葉には気を付けましょうって話でした。
わたし、嫌なことの記憶力だけは良くてね、たぶん死ぬまで忘れない。たまにさ、嫌な経験をあっけらかんと「そんな事あったっけ?」ってする人いるじゃん?その脳みそよこせ。
なんかメンヘラチックな記事になっちゃった、ごめんね。一度限りの人生、心の健康を第一に生きていこうね!
追伸:スポーツ選手にはなりませんでした
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